しずおか
A small journey to Shizuoka



はじまり
秋の小遠征は静岡を攻めてきた。
静岡県は大きい。そして東西に長い。 湘南あたりの人間にとって静岡は「小田原のちょっと先が熱海だからあのへんね」といった感覚なのであるが、熱海は静岡の東の端である。そこから新幹線の駅が熱海-三島-新富士-静岡-掛川-浜松と6つもあるのだ。いやいやそれどころか伊豆半島もまるごと静岡県だ。 これはあなどれない、ということで少し攻略。

新幹線は変わった。
ますます流線型でかっこよくなっているのだが、自分にとっては旧式の顔がなつかしい。あんな形だともうゆで卵を口にくわえて新幹線の物まねができなくなってしまって少し残念だ。
これって目の前でライターをつける星飛雄馬の宴会芸の系統だな。


かんさん
最初にたどりついたのは静岡県の西端に位置する某駅前のバスターミナル。
整然としているけど、閑散としてスカスカ。
ここに来るまでの東海道線はなんと3両編成。 これは週末だけだろうか。でも車内は行楽客でいっぱいだった。



かんさん2
上述の駅からバスに乗る。 休日のせいか乗降客は少ない。
なんだ、この静けさは。 この先にはワールドカップでの日本代表の宿舎となった和風高級旅館があるのに。
宴の後ということか。

浜松到着
「○○で降りるだにー」と小学校低学年らしき女の子が方言でしゃべっていたのがきこえた。 小さい子供の方言をきくと旅の実感が盛り上がる。
JRの駅は最近新しくなっているが、地方都市の駅は面構えがほとんど同じで個性がなくなってきているような気がする。 
そんな駅に写欲を減退させていたが、食欲は上昇気流に乗ってきた。浜松ならうなぎでしょう。某老舗にてうなぎ茶漬けを攻略。 うなぎ本体はもちろんのこと、こんぷ茶とうなぎのコラボレーションもスープのようでおいしい。 うな重を注文しなくて本当によかった。みなさんもおためしあれー。


浜松城
ちょっと地味な地方都市である浜松には、お城があったのだ。
そしてなんとそれを建てたのは、あの徳川家康だったのだ。
実は家康は29から45歳までの男盛りの時期をここですごしたのである。 さらに少年時代の10年あまりは駿府(すんぷ:静岡市)で人質となっていたのだ。
これだけ静岡県と縁があるのに学校で習う歴史では家康の駿府・浜松時代はほとんど語られていない。 やっぱり地味だな、静岡は。
江戸幕府を開いたのは還暦過ぎ。なので2年で早々と隠居して悠々自適と思えど、院政をひいて将軍を裏から操っていた。会社で言えば代表取締役名誉会長ってところかな。ちょっと後進にはけむたい存在だったのかもしれない。

浜松城2
表にあまり出ていない浜松時代の家康のお話をひとつ。
以前にテレビで放送したのでご存知の方もいたらあしからず。
家康が戦の最中に団子やで一服したときのこと。
団子を食べていると敵が攻めてくるのが見えて家康はあわてて逃げ出した。
すると団子やのババアは家康が食い逃げしたと思って追いかけていって代金を請求したという。
その名残?ということで、浜松には「小豆餅」というバス停とその5〜6こ先の距離には「銭取」というバス停がある。たぶん3キロくらいの距離を追いかけていった団子やのババアの執念には脱帽だ。
事実、家康は武田信玄には大敗している。 その時を描いたといわれる「あちゃー」といった情けない顔をした家康の絵が天守閣にあった。(写真に撮ってくればよかったな。)

浜松城3
天守閣にはお約束の鎧兜や鉄砲などが陳列されていた。
歴代城主の表を見ていると、会社の支店のようで支店長がこっちの支店からあっちに転勤するのと同じことに気がついた。
支店長の転勤に部下はついていかないけどね。

-NEXT-





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