楽園の現実、 あなたはバリで何を見つけたいですか





 ベンチャービジネスということばは20年以上前からあったと思うが、より身近になってきたのはここ 数年のことである。斬新なアイデアで時代の寵児を目指す人から会社をリストラされて排水の陣で 始める人までさまざまであるが、中でも一部の女性のアグレッシブな活躍は国内にとどまらない。

 最近バリで目に付くのが観光客相手の日本人女性起業家である。日本でビジネスをやろうとしてもまとまった資金が必要であり、銀行はそんな女性に冷たい。しかし、インドネシアでは3000ドルほどあれば小さい店舗を一年間(一ヶ月ではない)借りることができる(もちろん経費はそれだけではない)。日本の長引く不況で大企業の海外での活動が停滞しているが、それに取って代わるように個人事業者がバリで元気である。  

 外国人のインドネシア国内でのビジネスについては以前より容易になってきている。会社の設立等にはインドネシア人のパートナーが必要になってくるが、便利屋のようなエージェントに頼めば何のツテもない人でもその点がクリアできてしまうこともフォローの風となっている。

 インドネシアも日本以上に深刻な不況であるが、お得意さんは日本人観光客なのであまり関係ない。インドネシアは物価が安く、インドネシアの通貨であるルピアが円よりも値下がりしているときは追い討ちをかけるように日本でははした金が立派な資本に化ける。

●自由な日本人女性
 ウブド(バリ中部の観光地)にあるカフェである昼下がりに出会ったおみやげ屋を経営するとしえ(仮名)さんは、一人娘の他に日本人の中年女性2人と一緒であった。外国人向けカフェのオーナーのバリ人とは親しそうだったのでビジネスでのつながりがありそうだった。お互いの客を紹介しあっているのだろう。

 彼女は私がガイドブックの取材もたまにしているというと、とたんに目を輝かせて身を乗り出してきた。 店の売り上げはガイドブックに掲載されるのとそうでないのでは大違いである。ガイドブックを片手にやってきた日本人観光客はたとえ同じ商品に他の店より高い値段をつけても言い値で買ってくれるそうだ。

「このあいだ、300ドルで仕入れた絵を1000ドルで売っちゃった」

と、彼女は得意そうに言った。買っていったのはもちろん日本人である。一応その場は彼女に合わせたけれど、いくらで誰に売ろうがビジネスはビジネスだけれども、この手の話は後味が悪い。

 小学校低学年らしき彼女の娘は、母親には日本語、カフェのオーナーにはバリ語混じりのインドネシア語を話す。顔立ちからして父親も日本人であると思われるが、それについて彼女の口からは何も語られることは無かった。それほどビジネスにのめりこんでいるのだろうか。

 彼女のように日本に配偶者や子供を残したまま海外に長期滞在して旅行や留学、そしてビジネスをする日本人女性は増えている。以前はそのように自由奔放な行動は結婚前までのことであったが、日本人女性はここにきてもう一歩前進をした。最近流行の「自分探しの旅」や、やりがいのある仕事を求めて国内外をさまようことに世間の目や時間の制約は緩くなった。日本は閉鎖的と決め込み、自分を知る人のいない海外ならば他人を気にせず自己実現ができると信じている。ジゴロのエサになる日本人女性が都合の良い女だとしたら、そんな「自分に前向きな」女性を相手にする日本人男性は都合の良い男だ。夢を追う男に、それを耐えて待つ女は昔のことだが、その逆はまだなじみが薄いせいもあってあまり様にならない。

●しょうもない2億人
 彼女が自分の店の商品などについて機関銃のようにしゃべるのを聞いているのに疲れてしまった。またおっとりとした口調でしゃべる一人娘がホッとする「癒し系」のキャラだったのでそっちに話題をふると

「英語くらいマスターできると思ったんだけど‥‥」

 と、彼女は残念そうに言った。娘は現地の学校に入れずに高額な授業料のインターナショナルスクールに通わせているのだが、そこでは授業が英語ではなくてインドネシア語で行われているらしいのだ。

「インドネシア語なら2億人と会話ができますよ。 スゴイじゃないですか」

私は彼女を励ますような気持ちで言った。

「しょうもない2億人だもん。 お金にならない‥‥」

 私はインドネシアにはそれなりの思い入れがあるのでこれを聞いて一瞬ムッとしたがグッと抑えた。しかしそこに彼女の本音を見た思いがした。インドネシアに滞在していながらそこに住んでいるインドネシア人の多くは彼女にとってはしょうもない存在なのである。

 それから私がインドネシアの事情を多少理解していることがわかると、今度は自分の店で雇っている店員や家政婦さんから移民局などのインドネシア人とインドネシアへの文句が始まった。異国での生活でストレスがたまるのは理解できるが、これならオヤジ日本人駐在員と同じだ。

「ダメだと思ったらあきらめて日本に帰るわ。子供の教育の問題もあるし」

 ひととおり文句を言い終わった彼女がそういった。彼女のバリ滞在はあくまでも期限付きで、その中で自分の「可能性」を試したいということだ。もし大成功すれば配偶者を呼んでバリで一家だんらんの生活をおくるのであろうか。万が一失敗しても日本で働く配偶者の扶養家族にもどることができるならば、バリでのビジネスはだいぶリスクが軽減される。

●バリでダマされて、日本人から取り返す
 さなえ(仮名)さんはウブドのメインストリートであるジャラン・モンキーフォレストに店を構えている。最初にバリで仕事をしようとした数年前にはダマされたりいろいろと苦労をしているせいか、店を持つにはまだ若そうだったが貫禄のようなものも少し感じられた。「頼りになるのは自分だけ。ダマされた分をこのビジネスで取り返す」という決意の固さには迫力があった。

 しかし、一見さんの日本人観光客に的を絞っているために「取り返す」先は自分をダマした人間ではなく、関係のない人たちだ。また、日本人会についてはメリットがないといわんばかりに文句が口から出る。自分のビジネスを前面に出しすぎて総スカンでもくらったのだろうか。その一方で、昼下がりにジゴロらしき兄ちゃんたちがバイクでジャラン・ジャラン(散歩の意)をしていたのを呼び止めて

 「“彼女”を店に連れてくればチップをあげるよ。 いっぱい連れていらっしゃい。」

と、インドネシア語で言った。私が日本人なのでわからないとでも思ったのだろうが、周りにもよくきこえるような声だった。おいしいビジネス契約だろうが、こちらが恥ずかしくなるほど露骨だった。インドネシア人は冗談好きだが、場所をわきまえないと周囲から白い目で見られる。いや、これは冗談ではない。金儲けの契約なのだ。

 兄ちゃんたち(確認を取らなかったので彼らをジゴロとは呼ばないでおきます。ジゴロについては『南洋のジゴロ、クライアントを語る』に詳しいインタビューがありますのでご覧下さい)はニヤッと笑ってバイクにまたがると、どこかへ行ってしまった。

“彼女”がその店で落としたお金のいくらかが彼らの手数料になるという契約なのだろう。現在多くの日本人が海外で働いているが、旅行者や駐在員とその家族などの日本人相手のビジネスに従事している人が多い。外国人という不利な身分で現地の競争に参入するのは困難が多いし、日本人がらみが手っ取り早い金儲けの方法だからだ。

●変っていく長期滞在者
 数少ないが私がバリで出会った新しいタイプの日本人女性たちは、バリへの特別な感情が希薄であった。

 バリに長期滞在する女性はバリの伝統、習慣、芸術、自然、人間などに魅了されて騒々しくて落ち着かない日本を離れたような人がかつての主流派で、その延長としてバリで結婚・出産をして現地に根をおろそうとするその生き方は「ウブドの花嫁」と呼ばれて数年前にはちょっとした社会現象にもなった。

 しかしいくらバリが地上の楽園といわれても、厳しい現実はどこにでもある。安易な決断ではなかったと思うが、腰を落ち着けるとよく見えてくるのがネガティブなところである。日本では簡単に入手できるものも、ここにはないことが多い。また、バリの地域共同体は他人を放っておいてくれる都会とちがって、どこへ行くにも周囲の目があるために「ひとりでぶらっと自分探しの旅」なんて不可能だ。ほとんど縁のなかったであろう冠婚葬祭もここではほぼ毎月手伝いにかりだされる。「こんなはずじゃなかった」ということか、バブルがはじけて海外から撤退した日本企業に数年遅れて彼女たちがひっそりと日本に戻る動きが見られるようになった。一部のマスコミはそんな彼女たちを「それみたことか」とちゃかした。

 変わって最近増加している(一部の)長期滞在をしている日本人女性たちは、金儲けをするためにたまたまバリに滞在しているというかんじで以前に旅行等でバリを訪れたことがない人もいる。なのでお世話になっているバリに何かを還元したいという意識も薄い。それは置いておいてみなさん非常に元気なのだが口から出るのは金儲けに関する話が多く、ビジネスという目的に向って一途に突進している。

 彼女たちの付き合いももっぱら在留邦人や在留の外国人、それに金持ちのバリ人などが主である。これは日本企業の駐在員に似ているが、個人事業者は駐在員よりも現地との接触が密にならざるを得ないので現地の事情に詳しく、そしてなによりその地を愛している人が多い。しかし彼女たちからは残念ながらそれが伝わってこなかった。せっかくバリに滞在しているのならばバリの地域社会などにもっと関心を向ければ人間の幅も広がるだろうと思うのだが、ビジネスの絡まないところには消極的である。逆にちょっとした話でもすぐに自分のビジネスに関連付けようとする強引なところもある。

●ハイエナババア
 彼女たちを見ていたらたいへん失礼ではあるが「ハイエナババア」という人種を連想してしまった。ハイエナババアとは(私が命名したのであるが)フリーマーケットの開始直後と終了直前に2-4人のグループで出没して、めぼしいものを常識はずれな価格で値切り倒す中年女性たちのことである。

 その出で立ちは冬場なら濃い色のハーフコートとデイパックに帽子をかぶり、下半身はスパッツにスニーカーで武装した週末の鎌倉に多いいわゆる「行楽オバサンルック」である。そして一律に上等な衣料品は500円、小物は50円といった相場を無視した値段を切り出してくる出店者側からするとちょっと困った人たちである。

 フリマに値段の交渉はつきものであるが、売り物を大事にしてくれそうな人や買ってもらいたい人にならば言い値で売ってしまうような心意気の出店者も少なくない。このように一部の出店者にとってフリマは商売よりも売り手と買い手のコミュニケーションという側面が大きい。

 とくにイラストや陶芸など自分の作品を持ち寄るアートフリマは、好きな人がサンダル履きでのんびりお店をひやかすといったなごやかな雰囲気なので、欲望でギラギラした彼女たちの存在は目立つ。彼女たちの常用する「オバさんだから、もっとまけて」というわけのわからない値切り文句には最初は驚き、次にムカつき、そして笑いを通り越して今はもうなにも感じなくなってしまった。

 フリマ仲間と「ああいうことは(ここじゃなくて)世界の観光地で現地人相手にやってほしいよな。 そうしたら日本人も海外で少しはナメられなくなるかもな」と冗談で言っていたら本当に現れてしまった。しかし、その矛先はバリというエサにつられた同じ日本人に向けられているのである。

 このようなことから日本人が海外でつい「同じ日本人だから」という言葉に甘んじる時代は終わったと思う。これからは日本人同士でもある程度の緊張感をもって接することを意識すべきだ。 クタビーチのミチュアミ(三つ編み)おばさんやジゴロに対するようにとまでは言わないが。

 とまあいろいろ書いてしまったが、彼女たちの行いが正当な商行為で家族を犠牲にしていないならば非難をするつもりは無い。そのバイタリティーは日本で目的を見失ったせつないOL達などの良い刺激になる。また、おいしそうにみえるビジネスにも必ず困難はある。いわんや直接に生活がかかっているから必死にならざるを得ないし、逆にやればやっただけ自分の稼ぎになるとなれば中には行きすぎも出てくる。彼女たちのがんばりがバリの発展に貢献し、かつ現地人からねたみや嫌がらせを受けないことを祈る。

初出:MSNニュース&ジャーナル(2001年3月27日)を加筆訂正。

 




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