人びとと生きるインドネシア


(3)ツケ払いの結末
お客でごった返すお昼時が過ぎて、ホッとひといきといった時間帯のあるとき、お母さんと三女であるが 現在実質的な長女としてワルン(定食屋)をきりもりするタティが奥でなにやら深刻そうに話し込んでいた。

会話は聞き取れなかったが、困った事態であるようなことは見ていてわかったので「いったいどうしたの?」 と尋ねたが答えてくれない。

インドネシア人の約6割にあたるジャワ人の気質は、妙に遠慮深いときがあったりして日本人に似ている。 なのでお菓子などをすすめても「いらない」と断る場合がある。欲しくないのではなく、ただ遠慮をしているだけであることは態度から良くわかる。

つまり人のほどこしにすぐにあやかるのは行儀が悪いということなのである。こんなときはもう一回か二回すすめてみると 「それほどまでにいうのなら」といったかんじで手を伸ばしてくる。

ということなので「力になるよ。もう遠慮したりする間柄じゃないし」ともう一押ししてみると、 やっと話し出してくれた。それは”ツケ”で食べている客のことであった。

●ツケ払いの事情と現状
通貨危機以前のインドネシア経済は拡大基調で、建設ラッシュはジャカルタを中心としてすさまじい勢いであった。 ワルンのすぐそばでも20階近くもあるようなアパートメントの建設がおこなわれていた。 そこで働いている出稼ぎの現場作業員たちが、私の不在の平日のお昼に大挙して食事に来ていたのであった。 この種の仕事は体力は必要だがほとんど資格はいらず賃金もステイタスも低い。

エアコンの効いた室内でできる仕事のほうが「イケてる」ために、都会人をきどるジャカルタの人間は たとえ金に困っていても現場の仕事はやりたがらない。なので、地方出身で仕事が無くてジャカルタにやってきた人間が多い。ワルンの支払いは原則は 現金払いであるが、彼らのうち何人かはツケ払いをしていた。

彼らは食後にワルンにあるノートに日付と食べたものと料金を自分で記入する。自分自身に記入させることによってツケ であることを認識させる目的があるのであろう。

1−2回くらいならたいした金額ではないが、何週間もためれば払うのが困難になるほどの金額になる。 現場の仕事は体力を使うのでしっかり食べなければ続けられないが、肉は食べたくても食べられない。 なので満腹になるために、いろいろな手段を駆使することになる。

ワルンにあるカウンターのような細長いテープルの上にはいろいろなものが置いてある。ケチャップや緑色の唐辛子は 薬味なので無料であるが、クルプゥというえびせんやテンペゴレンという練った大豆を揚げたせんべいや バナナは有料である。

おかずを注文しないでご飯に唐辛子と塩ですませたり、おかずのタレをもらったりするのがよくやる方法である。 そして有料の食べ物は食後の会計時に自己申告で精算されるのだが、彼らの一部がテンペゴレンをそっと 多めに抜き取ったりしていることはワルンの皆にはもうバレバレのことであった。

ワルン、そして家族のマネジメントを取り仕切るのはお母さんである。
というとふくよかな「肝っ玉母さん」のような人物が想像されるが、ここのお母さんは「細腕繁盛記」タイプ とでもいうのか、とても2ケタにのぼる子供を産み育て、なおかつワルンで仕事をしてきたとは思えないほど華奢な 体型で性格も穏やかである。

また、子供たちのしつけも実にいきとどいている。テキパキと仕切るようなことはしないが、いつもやさしく、 お母さんの前では誰もが魔法にかかったように素直になってしまうような雰囲気を持っている。私もほぼ息子 のようなかんじで何年間かお世話になったが、怒っているところはみたことがなかった。

そんなお母さんはお昼を食べに来る作業員たちが自分の子供のように思えたのであろう、たまったツケを 大目に見るどころか「怪我をしないように」とかねぎらいのことばもかけている。まさにインドネシアの母である。

しかし、そのような寛大な措置をとり続けるほどワルンだって余裕があるわけではない。以前、子供たちの学費が 定期試験前に払えずにあやうく受験不可能になりかかったこともある。なのでお母さんとタティの三人でこれからの ツケについて話し合うことになった。

私が「ツケが一定期間以上たまっている場合は警告をした上で少しでも払わせて、それでも平然とツケで食べる 奴には払わないと食べさせない」ことを提案すると、お母さんは「そうしたら、彼らはお昼を食べる場所が無くなる」 と彼らをかばう。

「放っておいたら回収できない不良債権になる」といっても「銀行じゃあるまいし」と一笑されてしまった。
しかし毎回のようにテンペゴレンやバナナを黙って食べるのが目に余るので「KTP(IDカード)のコピーを提出させる」 といった私の強攻策にもお母さんは同意してくれなかった。結局たまっている奴に対して気が付いたときに注意するということに落ち着いたが、 私はこれを超穏便な措置と疑わなかった。

●常習犯の男
その後もワルンはツケをする奴は堂々とツケを続けている私に言わせると野放し状態の相変わらずの日々であった。 常習犯はアンワルという男で、こいつはツケを一ヶ月近くもためているどころかほとんど毎回クルプゥや バナナを申告せずに食べているらしい。私も彼がバナナを食べていながら、バックレて涼しい顔でノートに 過少申告したのを土曜日の昼に目撃した。

私はある土曜日にアンワルの働く現場に行ってみた。
ありあまる失業者を吸収する有効手段として現場では人海戦術が取られているため、日本の現場と違い やたらと作業員の姿が目に付いた。工事の過程のせいかもしれないが、現場には機械らしい機械は見当たらない。

その理屈は、人件費の安さからある程度の工作機械を導入するよりは安上がりになるだろうし、人間 だから地面を掘ることも建材を組み立てたりすることもでき、はたまた「故障」をしても代わりは いくらでもいる、ということである。

建物の奥のほうにアンワルの姿を見つけた。給料も安いだろうからどうせ体力を消耗しないようにタラタラ やっているのだろうと思っていたが、煩く、誇りっぽく、蒸し暑い作業場で黙々と働く彼は一心不乱 ということばがピッタリで好感が持てるくらいだった。

失礼ではあるが、こんな悪条件でもテキパキと働くインドネシア人を見たのははじめてであった。後で知ったことであるが、 彼の業務は基本給なしの出来高払い、つまり完全歩合制であったらしい。しかも、毎日ノルマをこなさないと 首切りの恐れもある大変厳しいものであった。

そんな真剣作業中に話をするのは少しはばかられたが、名前を呼ぶと彼は作業をピタッとやめて立ち上がった。 丁重なことにヘルメットを脱いでかしこまっている。これには恐縮すると同時にびっくりしたが、どうやら彼は 外国人である私のことを施工主かその関係者だと勘違いしたようだった。

私の勘はそんなときに限って的中し「ワルンのツケの話なんだけど」ときりだすと最初は「何の話?」 と首をかしげていたが、事情を飲み込むと手のひらを返したようにいやな顔になり「なんだよ」と舌打ち してからしゃがんで作業を再開した。

いくらこっちが偉い人間じゃないからって急に態度を変えるなよな。現金は無いくせに現金な奴だ。

いくら好感の持てる仕事振りでも、ツケがたまっているのは見逃すわけにはいかない。さっき態度を急変させたからなおさら 許せない気持ちになった。

「もうツケはできなくなるぞ」と作業に打ち込む彼に警告すると、目を血走らせて「来週には払う!だから 今こうして一生懸命働いているんじゃないか」と怒った。

逆ギレするくらいならちゃんと払えよ。またムッとしたが、考えてみれば日本人ではないのだ。すみません 云々という言葉を期待するほうがおかしいのだ。

また彼にとっては他の人間の前で恥をかかされたので、これは体面を重んじるジャワの習慣に逆らう ことであったから逆ギレしたのは無理もない。でも自分は間違っていないはず、、、と悩みつつの家路となった。

●男は消えた
次の月曜日の夜に、私はいつものようにワルンで食事をした。聞いてみると、アンワルはその日にワルン には現れなかったそうだ。歩合制なのでツケを支払うために仕事をがんばりすぎて疲れをためたのだろうか、 くらいにしかそのときは考えなかった。

しかし、それが大きな間違いの元であった。火曜日も水曜日になっても彼はワルンに現れなかったようであった。 すぐにでも彼を見つけて問いただしたかったが、夜はどこにいるのかわからない。いや〜な予感がした ままとうとう週末になると、また現場に見に行くことにした。

建設中のアパートメントは、まるで竹の子のように見るたびに伸びていた。現場に入るといつもの場所 に彼の姿が見えなかった。作業場が変わったのか、私がやってくるのを察知して現場のどこかに一時的に隠れたのかと思い 周りを探したが見つからない。

ふと気が付くと、ひとりの作業員がこちらを見ていた。ワルンで何度か見かけた顔だ。尋ねてみると、 今週の給料日直後あたりから突然仕事に来なくなったという。やっぱり甘かった。彼は追われないように こっそりとどこかへ消えたのだ。未払いのツケを残して。あの野郎、今度はこっちがキレる番だ!

お母さんの好意を土足で踏みにじったようなアンワルの行為にキレてしまった私は、現場監督らしき男を 捕まえてその件を騒音の渦巻く現場に負けない大声でぶちまけた。

いつもワルンでの食事の後にギターを弾きながらダンドゥッ(泥臭い歌謡曲)やポップスをみんなで 歌っていたから大声には自信があった。監督に文句を言っても解決の方向へ進むとは考えにくかったが 事実を認識させることは必要だ。おそらく周りの作業員にも少しは聞こえたと思うが、これが彼の後に 続いてツケを踏み倒そうとするふらちな作業員への警告になることを祈るだけであった。

監督といえども所詮雇われの身である。思い余って責任者といえる人間のところにも駆けつけた。 その人物は醜く太ったコテコテのオヤジで、Tシャツでは寒いくらいエアコンの良く聞いた室内でヒマそう にたばこをふかしていた。そして、こっちが言い終わらないうちに「たかがワルンのツケでガタガタいうな。 こっちはもっと大きなビジネスをやってんだ」というようなことを吐き捨てるように言った。

こんなことを言う奴に雇用主の責任なんて、馬の耳にコーランというようなものだ。金額の問題では ないのに、権力とか経済力といった武器を持って欲ボケした相手にひとりで社会正義を振りかざしても まるで効果がなかった。

自分が勤めていた会社では、会社という後ろ盾のおかげでインドネシア人の社員達は手足のようにとまで はいかないがそれなりに動いてくれた。しかしスーツを脱いで肩書きを取るとこのざまだ。立場によって 態度を変える人間にも憤りを感じたが、何も思い通りに進められない自分の無力さにも腹がたった。 やはりひとりでは5月革命はできないのか。

●良心のかけら
突然姿をくらましてツケを踏み倒していったアンワルにまだ腹の虫がおさまらないでいたある日、 お昼時に現場の作業員有志がやってきてアンワルの件を詫びていくばくかのお金をおいていこうとした ことをお母さんが話してくれた。

彼らの言うことには、地元の人間でないために信用のない自分達にツケ払いをさせてくれたワルンは ここしかなかったので彼がここに通いツケがふくらんでいったという。彼らはたまたま現場で一緒に働いていたというだけの間柄で 同郷人でももちろん親戚でもない。しかし、彼の行き過ぎた行為を他人ながら申し訳なく思い申し出たということだった。

お母さんは彼らの気持ちに感謝し、お金は受け取らなかったらしい。問題が起こると知らぬ存ぜぬを 決め込む彼らの上司などの偉い人に比べて、彼らはなんと思いやりのあることか。そういえば物乞いに バクシーシ(喜捨)をよく与えるのも、与えられる人よりほんのちょっと上の生活をしている人々が多い。

このような申し出があったこともひとえにワルンのお母さんの人徳であろうが、とことんお人よしなので ちょっとは自分たちのことも考えなくては、とつい言いたくなってしまう。

サッカーチームができそうな数の子供を立派に産み育て、50歳を超える現在も朝6時に市場へ仕入れに出かけ 、夜10時過ぎの閉店まで毎日働いている。会社員なら週休二日プラス祝日のこの現在に、お母さんの休日は 一年間でイスラム正月のわずか2−3日だけだ。

20代の若者ならいざ知らず、もうすぐインドネシア人の平均寿命に届くくらいの”高齢”であるので、 私が帰国するときに兄弟達に「お母さんの休日を、最低週一日はつくる」ことを約束させてきたが、 働き者のお母さん自身がそれを守っているとは少し考えがたい。

初出:MSNニュース&ジャーナル(1999年7月22日)を加筆訂正。
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