人びとと生きるインドネシア


(2)喜怒哀楽にふれる


●現金と通信簿

私がジャカルタ滞在中に通っていたワルン(定食屋)の隣には、大きな家があった。このあたりの地主らしく、貸家のあがりで生活できているようで経済的には群を抜いて豊かであるため横町内では浮いた存在であった。そしてこの家庭はオヤジとその配偶者がともにバツイチ同士でそれぞれの連れ子と彼らの間の子供も同居する複雑なものであった。

オヤジと前妻との子供はワルンの一番下の女の子と同い年であったこともあり、ワルンや彼らの家に頻繁に出入りしていた。彼女は複雑な家庭事情、横町内でも後ろ指をさされて嫉妬ややっかみを浴びるためにワルンで自分を解放しているようだった。

経済的には裕福な家庭であるため横町の子供たちが持っていないような遊び道具を持っていたのだが、それでは満たされないのかワルンの前で遊んだりおしゃべりしているときは実に楽しげであった。

そんな彼女がある日半ベソをかきながらワルンに飛び込んできた。話を聞くと「今日は終業式だけど、両親は二人とも忙しいので学校に行ってくれない」というのである。

終業式の日には通信簿が渡されるのだが、インドネシアの学校では通信簿は本ではなく学校にやってきた保護者に手渡される。当時ワルンでも学校に通っている子供が4人いて上の兄弟もかりだされ、終業式が土曜日に当たったときには私も保護者として学校に出向いたこともある。

彼女の両親が忙しいはずはない。オヤジはいつも賭けトランプをやっているだけだし、新しいお母さんもたまに外出はしているようだが外で働いている様子はない。

ワルンのお母さんたちと話し合い、誰かが学校に行くようにするから、ということで彼女をなだめて家に帰した。その後、さてどうしようかと皆で相談していたら彼女のオヤジがワルンに入ってきた。そして「これでちょっとあの子の学校まで行ってくれるかな」といって現金を差し出した。

オヤジにとってははした金だろうが、ワルンで10回は食事のできる金額だった。ムッとした私がオヤジに言い寄ろうと立ち上がった瞬間に、ワルンのお母さんが「家の誰かを行かせるからお金も心配も要らない」といった。オヤジはそれならというかんじで、ちょっと恥ずかしそうな様子で足早に戻っていった。

腑に落ちない顛末であったが、とりあえず彼女の通信簿はワルンのファミリーによって無事に彼女の手に渡った。自分の親から十分な愛を得られない彼女をワルンのファミリーが受け入れた。これで兄弟は12人だ。私は年齢的に一番上の兄で、彼らからはいまだにしたわれている。そんなにたくさんの弟や妹をも越して日本に戻った私の心配事の一つは彼女がコギャルになってしまわないか、ということである。


●行列の人間模様

ジャカルタやスラバヤといった大都市をかかえるジャワ島では、多くはないが列車の旅が楽しめる。渋滞と喧騒から少しの間でも離れるためにバンドンまででかけることにした。

バンドンまでは飛行機で50分、バスだと4時間くらいでいずれも列車より早いのだがあえて列車を使うことにした。バスのように渋滞に巻き込まれず、飛行機より発着時間の変更が少ないためだ。

外国人であっても切符を買うことはさほど困難ではないが、考えさせられることがあった。前売り切符の購入のためにわざわざ事前に渋滞にまみれて駅まで行く根性はないので、当日の早朝に駅に出かけたときのことである。

出発時刻もまるでわからないので不安であったが、一般的な路線らしく2時間に1〜2本くらいはあるようだ。当日は出発時刻の1時間前から切符が発売されるので列に並んで待つことにした。

窓口に提示された発売枚数は32だった。ワルンの大家族のようにひとりで家族全員分買ったらすぐに売り切れだが、自分の位置なら大丈夫とタカをくくっていた。しかし、発売時刻の20分くらい前になると行列の先頭や窓口の近くに人が集まりだした。並んでいる人の身内にしてはよそよそしいそぶりで、中にはちょっとうさんくさそうな奴もいた。

悪い予感は的中し、彼らは窓口が開くと先頭付近の人たちに切符の購入を頼みだした。そのため、列がいっこうに縮まる気配を見せないうちに切符が売り切れとなってしまった。

1時間以上も並んだことは徒労に終わってしまったが、こんなことでくじけていたらインドネシアでは暮らせない。気を取り直して次の列車の列に並び替えた。前回より先頭に近かったので今度こそは帰ると思ったが、再び数時間も並んで待つのはこたえる。

イライラをつのらせながら並んでいたら、ニヤけた男が寄って来て、さっき売り切れた列車の切符を2倍の値段で吹っかけてきた。奴がちゃんと列に並んで買ったならまだ許せないことはないが、ついさっき割り込みをしただけのまるっきりのインチキには金は払えない。切符はほしかったが無視することで拒否をした。

発売時間が近づくと、窓口付近にまたもや人が集まってきた。すぐそばで「何枚」とか頼んでいる。さんざん待たされてイライラは頂点に達していたためにすぐ前で切符を頼んでいた女の子2人組みに怒った。よく見たらひとりはけっこうきれいだったので怒ってしまったことを一瞬だけ後悔したがイライラはそれ以上だったので「割り込みするな」ということをありったけのインドネシア語でぶちまけた。

すると2人は、悪びれることもムッとする様子もなくその場を離れた。ホッとしたのも束の間、彼女たちはあきらめて列に並ぶどころかもっと前に行き切符を頼み、手にしたのだ。あっけにとられた。

ふっかけてきたダフ屋のニヤけた男と違い、彼女たちは本当にバンドンにでかけるのであろう。しかし割り込みは割り込みだ。並んだ疲労、イライラにインドネシア人への不信感も加わり、もう何も考えられなくなった。

じりじりとではあるが列が進んでだんだん窓口に近づいてきた。途中に聞こえるダフ屋の「2枚買ってくれ」という声をすべて無視して気持ちは一直線に窓口に向っている。今度買えなかったらシャレにもならない。

並んでいるときも前のめりで前の人の背中を無意識のうちの押している。苦節数時間の後にようやく切符を手にすることができた。ホッとして窓口に背を向けて改札に向おうとしたとき、自分の後ろに長蛇の列ができていたことに初めて気がついた。

先頭付近では相変わらず割り込みが横行していたが、じっと列に並んで待っているたくさんの人がその後ろにいた。目に付いたものの、全体的には割り込みは少数だ。気のせいか並んでいる人たちの顔が割り込みをしている人たちよりいい顔に見えた。

そんなまじめで要領の悪い人たちを見て「インドネシアも捨てたものじゃない」と思った。

初出:MSNニュース&ジャーナル(1999年1月22日)を加筆訂正。
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