インドの中にある日本




インド東部にあるヒンドゥー教の聖地を訪れた。聖地であるためかビーチを歩くと神様が運ならぬ「うんX」をつけてくれるかもしれないありがたい場所である。特に素足で早朝に歩くと、「ご利益」が得られやすいそうだ。
 大都会の喧騒から逃れるようにやってきたので、この街に着いたときホテルに関するさしたる情報を持ち合わせていなかった。なのである日本人宿をめざすことにしたが、鉄道駅前のターミナルにたむろしているリクシャーの運ちゃん連中は口をそろえて「あそこは満室だ」とか「他に安くていい宿がある」とかしきりにくりかえす。

 セコい謀略のにおいをかぎとったのでそれなら意地でも行ってやろうと思い、粘り強い交渉に突入した。お祭の時期ではないので訪れる観光客はけして多くない。絶好の買い手市場のはずなのであるが、運ちゃん連中は妥協のダの字も見せずその結束の固さは驚くばかりであった。

 小さな街なので、目先の金のための安易な妥協は村八分になる恐れもあるのであろう。こっちにとっては彼らの都合などどうでもいいが、インドではこんなことに費やす時間がなぜにも多いのか。さっぱり進展しない交渉を切り上げると、当時のガイドブックに書かれていた簡単な絵地図をたよりに歩き始めた。

 ゆったりとしたリゾート気分なら最高の日差しも重い荷物を持って歩いているときは最悪で、交渉の決裂でムッとした気分も不快指数に油を注いでくれる。気分はカッカと足取りはよろよろと歩いていると、さっき交渉をしていたリクシャー運ちゃんのうちのひとりが後ろからやってきた。

 「しょうがないからあの外国人を誰かが乗せる」という運ちゃん同士の合意に達したのであろう。彼らに少しでも譲歩をさせたという小さな達成感がこみ上げてきた。
 しかしものほしそうなそぶりを見せたら向こうのペースにはまってしまう。日本では決して金持ちとはいえないが、インドのリクシャーの運ちゃんより金を持っていることは自信を持っていえる。しかし気持ちの上ではさっきからやられっぱなしだ。

 経済大国にたまたま生まれた日本の若者は、自分が大国から来た大物だと言う錯覚をインド入国以来ずたずたにされている。アウェイで勝てないサッカーチームのようだ。いやこの調子だと彼らが日本に乗り込んできた場合でもやられてしまうといった危機感さえ感じる。

 精神的、肉体的疲労はたまっていたが、料金の交渉をきっちりと済ませてから荷物をリクシャーにのせた。しかし運ちゃんはいざ出発となってからも「他にいい宿があるぞ」なんてまだ言っている。まったくしつこい奴だ。

 リクシャーがめざす宿の方に動き出してホッと一息と思いきや運ちゃんは矢継ぎ早に「ここを発つのはいつか」とか「この次はどこに行くのか」という質問をぶつけてきた。しゃべることにはもううんざりしていたが、はぐらかすとか適当にあしらうといったテクニックをまだ持ち合わせていない若葉マークの個人旅行者であった私はうざったい気持ちがあっても彼の質問にバカのつくほど正直に答えてしまっていた。

 リクシャーに乗ったせいかもしれないが目指す宿は駅からさほど距離がないように感じた。「これならもうちょっとがんばって歩いてもよかった」なんてしょうがないけど後で思ってしまう。運ちゃんは宿のある小道の入口でリクシャーを止めて、ここからあとは歩けといわんばかりに宿の方を指差した。宿の前にも行きたくないようだ。客を無視した態度は筋金入りであるが、重い荷物を置いてゆっくりできるのならばあと十何メートルほど歩くことは何の苦でもない。金を払うと荷物を持って歩き始めた。

●村八分の日本人宿
 やっとたどりついたその宿は宿泊客のほとんどが日本人で占められている家族経営の「日本人宿」で、若旦那にあたる長男は流暢な日本語を話した。
 ひとたびガイドブックに掲載されれば忠実な日本人が後をなぞるように押しかけてできあがるこのような宿は世界の要所に存在する。宿のほうでも「値切らず、騒がず、文句をいわない」日本人客は歓迎されることが多かった。

 チェックインというかドミトリー(相部屋)に荷物を置いてから1階のレセプション兼レストランに下りると若旦那がぶ厚いレポートを「読んでくれ」と手渡した。そこにはその宿と地域住民との様々なトラブルが日本語で書かれていた。

 おぼろげな記憶をたどるとその内容は、その宿の一家のカーストはバラモンで周囲とは異なる。バラモンとは司祭などに携わる最上級のカーストであるが必ずしも特権階級の生活が約束されているわけではない。この宿にバックパッカーといえども金持ち外国人客が増加してくるに連れてカーストのからみによる近所付き合いの希薄さが災いするようになる。無心に応じないために地元の警察も宿や宿泊客にいやがらせをはじめるようになった。そんな中で孤軍奮闘しています、ご理解くださいという内容であったと思う。
 読み終えると若旦那はサイン帳を出してきた。ありきたりのことばだったが、隣にあった「名門○○大学4年 某、4月より大手XX銀行に就職。ヨロシク!」よりはまともなことを書いたと思う。

 宿泊費には二回の食事と三回のお茶も含まれていた。食事は絶賛するには至らなかったが、その味付けはあっさりめでスパイスに疲れた舌には心地よい。醤油パウダーも常備されていて、少しインドを忘れさせてくれる。レギュラーの食事メニューのほかに若旦那は漁師から買ってきたロブスターやプリンなど日本人の好きそうなものをオプションで随時勧めていた。 オプションも安かったので勧められるままにホイホイ注文していたが、気がつくと外でほとんど金を使っていなかった。今考えると近所がひがむ理由も少し理解できる。
 だがこれが後に若旦那が大阪でレストランを開業する原動力になっていたとは知る由もなかった。近所からいやがらせをうけようが、若旦那は日本人相手の仕事に精を出していたのである。

●日本人旅行者の社会
 まだバックパッカー=学生、というのがおおかたの相場であった当時、日本人宿でみんなが集まる食事どきはまるで学食のノリであった。学食に各サークルの定位置があるように宿のテーブルの席順にも軽い「お約束」があったところはコテコテの日本社会である。

 奥にある特等席に着くのは多数派であった学生ではなく、ボサボサの長髪をマゲを結うようにまとめ、ヒゲをのばしほうだいの落武者然とした長期滞在者であった。たとえ20代半ばでも学生の中に入ればいっぱしの長老になれる。民族衣装モドキを着こなしてインド崩れしたようなかっこうならなおさらOKだ。

 こういう人物はたいてい良い人か先輩ぶる人に分かれるものであるが、彼は学生や旅行の初心者を捕まえて説教するようなこともせずかといって全く無視するわけでもなく適当な距離を保っていた。しかし学生たちにとってはその適当な距離は、はるかかなたに感じられたようで「あの人スゴそうだな」とか仲間内だけでひそかに語るだけであった。

 彼が特等席に着きいつも食後にガンジャを一服キメる(長老仲間だけではなく、初対面の若い旅人にもガンジャをまわすことを心得ていた)ことにも慣れてきたとき、だんだん彼について知りたいという気持ちが湧いてきた。

 もうインド滞在が数ヶ月に及ぶらしい彼は、旅やそれにまつわる「非日常」については饒舌であった。休みが終わったら帰国して学校に戻るだけの学生にとって何ヶ月も日本を離れて旅をする人間はどこかアウトローような魅力があった。しかし一向に彼という人物像がつかめていなかった私は純粋な好奇心から「日本に戻ったら何をするのですか」と禁句とも言える大変失礼かつ野暮な問いかけをしてしまった。

 本来なら怒られてもいいほどの世間知らずであった私に対して彼は恥ずかしそうに「何かやんなくっちゃね」とぽつりというだけであった。日本を離れた理由はわからない。しかしインドの中の日本が彼の現在の居場所であった。日本には戻りたくないけれど、インドにどっぷりつかるのも疲れた。それを癒してくれるのがこのような日本人宿なのだろう。日本のしがらみにまきこまれずに日本の雰囲気を享受できる異国が、彼にとって心地よい場所なのだ。そんな彼の心を日本に引き戻すようなことをしたのは失礼もはなはだしかったが、その瞬間だけはガンジャでイッてしまったような彼の目が違って見えた。

●インドの中の日本
 その宿の敷地内では犬が飼われていたので少し緊張した。犬はよそ者には敏感に反応する。私は観光地ではない普通の裏通りをブラつくのが好きなので、そんな犬に出くわすことが多い。そういうときに犬は道をふさいで私が引き返すまでほえつづけるのだ。さらに野良犬は昼間はかったるそうに眠っているのだが夜になるの群れを作って街中を狼のように走り回ったり対立グループとけんかをしたりする。しかしその宿の犬はほぼ一日中おとなしく宿泊客に吠えるようなことはなかった。

 このようなインド離れした環境で久々に日本語がひとりごとでなくなる日々を過ごすことができた。本ダナにはちょっと古い週刊誌や単行本があり、ラジカセからは長老たちの置き土産だろうか当時といえどもすでに流行を過ぎた日本のフォークソングが流れてくる。ズレているせいか、ひどく懐かしく感じる。日本ではあたりまえで気にとめないことすべてが自分の中に自然に入ってきた。たまたま投宿していたメンバーもほとんどが肩のこらない連中だったので、充実した休養と情報交換ができた。しかし、そのような時はあっという間に過ぎてしまうもので、再びインドの荒波をかきわけて旅を続けていかなければならない時がやってきた。

 最後の夕食を食べ終わって夜行列車の時間までしばらくできなくなる日本語での雑談に熱中する。夜もふけてそろそろ時間かなと思い始めたときに、おとなしかった宿の犬が猛然とほえ始めた。いったいどうしたのだ。満月かなにかがこの犬に野生をよみがえらせたか。そんなバカな。宿の前を野良犬が通り過ぎたのだろうかと思って外を見ても暗くて何も見えない。

 引き返そうとすると呼び声がした。振り返ってよく見ると、そこにはインド人が一人立っていた。暗闇に歯と眼球の白い部分だけが不気味に浮かび上がっている。目が慣れてくるとそれが数日前に利用したリクシャーの運ちゃんであることがわかった。そして犬は運ちゃんに向って吠えていた。この宿の犬はインドの中の日本に住む日本人びいきの犬であったのだ。どうりで運ちゃんが往時に宿の前まで行きたがらなかったはずだ。

 運ちゃんは「時間だよ、乗れ」というように、リクシャーの後部座席をポンポンとたたいた。しかしなぜ呼ばれたかのように彼はここにやってきたのだろう。最初は彼のことを自分の出発日と時間を予知してやってきた恐るべし超能力インド人と思ったが、行きのリクシャーで出発日と行き先を質問されて正直に答えたのでそれを覚えていた彼が迎えに来ただけだったのだ。なんでもありのインドでもさすがに超能力リクシャー運ちゃんはなかったが、迎えに来たのも予想外のことであったのであっぱれインド人とまた1本取られてしまった。

 駅まで歩いていく気も、他のリクシャーをつかまえる気もなかったので彼のリクシャーに乗ることにした。おとなしかった宿の犬が吠えつづけてやまないので、宿と宿泊客のみんなとの別れの挨拶もそこそこに出発することになった。最後に若旦那に駅までのリクシャーの妥当な料金を尋ねてみた。おしえてくれた値段は行きに自分で交渉したときより安く、滞在中の情報収集で得た最低値より高かった。そして前回は強気一辺倒だった運ちゃんもすんなりとその値段を受け入れた。
 宿泊客に相場よりも少し高く払ってもらうことで町内との摩擦を緩和しようとしたのであろう。これも外国人ばかり泊めて儲けているだののひがみやっかみの中で生活していく処世術の一つだろう。

 リクシャーが動き出すとすぐに日本人宿の灯が闇にうもれて、日本語の声が虫の音に代わった。暗闇の中を少し走ると駅に近づいてきたのか街の明かりが見えてきた。きこえてくるのは露店で食べ物を調理している音と意味不明のインドの言葉だ。これで束の間のオアシスであるインドの中の日本から、旅人に容赦しない現実のインドに戻ったのだ。街中では物売りや詐欺しにからまれ、裏通りでは犬に吠えられる普通のインドに。

初出:MSNニュース&ジャーナル(1999年8月3日)を加筆訂正。

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