グアナファトで揺れる心




 メキシコでは数多くの建造物や遺跡がユネスコの世界遺産に指定されている。その中でもグアナファトは中心部がそのまま世界遺産になっている珍しい街である。訪れる前にガイドブックでそのくだりを読むと即座に倉敷の風致地区が連想された。

 ただのきれいな観光地ならば別に訪れる必要はないと思ったが、世界遺産という響きに惑わされてバスに飛び乗った。うまくカメラに収めれば、、、というふらちな動機がその背後にあったがきままな一人旅の延長なのだと自分で自分に言い訳をした。

 16世紀からスペイン人による本格的な銀の採掘が行われ、18世紀には世界の3分の1の銀を産出していたといわれるこの街は、銀産業の衰退とともに街の開発も止まり全盛期の街並みが残ったという経緯がある。そのような歴史的な街に住む人々は伝統的な生活様式を忠実に継承しているというふうでもなく、ごくごく普通に生きている。しかし、街角にある広場では花やパンが売られ噴水の縁で人々がおしゃべりに興じる姿はいにしえの全盛時代も変わらぬ様子であっただろう。

 国内でも有数の観光地なので安いホテル探しには苦戦したが、観光案内所でようやく予算にあった宿を紹介してもらった。その宿は3世代同居の一家の空き部屋で、おじいさんはどこで覚えたのか私が出かけるときも、帰ってくるときも「いってらっしゃい」とつたない日本語で言ってくれた。

 食事はついていなかったが2階にある部屋の途中に台所と食堂があった。スペイン語の勉強もかねて「何を食べているのですか」とたずねているうちに、何度かごちそうになってしまっていた。別に計画的に食事時をねらったわけではないけれど、おじいさんとおばあさんだけで寂しいのか特に昼間にはお世話になった。

 商店がシャッターを下ろし街角から人が消える白日夢のような昼下がりにビールが飲みたくなった。近くの小さなデリカテッセンに行くと、ビールを飲むなら外のテラスじゃなくて店内のテーブルでのんでほしいといわれた。スペイン語なので詳細はわからなかったが、アルコールを控える日にあたったらしい。銘柄がわからず適当に頼んだ末に出てきたのは黒ビールで、ホロ苦さにまみれて酔いが回ってくると旅愁がこみあげてきた。

 がむしゃらに旅に出かけてとにかく写真を撮っていた時期があった。その頃は撮影を終えた後に屋台などでひとり冷たいビールを飲んでいるときが、自由であることをかみしめられる至福の瞬間であった。しかしここでは自由の裏側にある孤独の方が酔うほどに感じられるようになってしまった。日本に残してきた何かに後ろ髪を引かれる、そんな年になったのだろう。普通の土葬でミイラができあがってしまうほどカラッとした気候のグアナファトで、湿っぽい何かを感じていた。

 午後3時をすぎ、商店が長い昼休みを終えて店を開ける頃になったのでおみやげ屋を訪れた。普段はほとんどおみやげなど買わないのだが、思いを寄せている女性がいたので柄にもなくしゃれた銀製品の店の扉を開けた。すぐに店に入ると冷静に選べないと思い、丸一日をかけていろいろな店のウインドーや道行く女の子の首のあたりを観察して、彼女に合いそうなネックレスをあらかじめチェックしていた。

 旅の途中でこれほどの気の入れようは今考えると信じがたい。店内はこちらが店員を呼ぶまでほおっておいてくれる落ち着いた雰囲気であったが、私はまるでお年玉を手にしておもちゃ屋に駆け込んだ子供のような興奮状態であった。首につけた感じや鎖の長さをつかむために店員の女の子にはモデルになってもらい、めぼしいものを数点選んで値段の交渉をしながら絞込みに入った。

 こちらの心理状態を読み尽くしたような店員は強気で、どうしてもこっちのペースで交渉が進まない。「おみやげはメキシコシティーが安い」とガイドブックに書かれていたことを思い出しても、気持ちが目の前のネックレスにはまっていく。はやる気持ちを抑えられず、シンプルでキラリと光るものを買うことにした。最終候補の中で最も値引幅が少なかったものだ。こっちの趣味を嗅ぎ取った向こうの作戦かもしれない。

 購入を決めてとりあえずホッとしていたら、今度は店員が箱を持ってきて勧めてきた。ひとつは安っぽいプラスチック製で、もうひとつはビロードのやや高級感のあるものでもちろん別料金であった。私がビロードの方を買うことを確信して2つを並べたのであろう。おかげでビール1本分ほど値引してもらったのが、ジュース1本分になってしまった。

 落ち着いた店内から人通りが増え始めた外に出ると、まぶしい夕方の日差しがふりかかって夢から覚めたような気がした。店の様子や、何分ほど店の中にいたのかももう覚えていない。バッグからカメラを取り出して手にするとやっと自分が旅をしていたとことを思い出した。ようやく完全に我に返ると、再び雑踏の中に身を沈めた。

 イダルゴ市場の横には小さい公園がある。入口付近に露店が建ち並んでいるが、奥に入ると静かでひといきつける空間になる。大きなバスケットに菓子パンが山積みになって売られていた。小腹がすいてきたので日本でもおなじみのメロンパンをつまんでみることにした。見かけは大きくても中身はスカスカなのでおやつにはちょうどいい。

 ふと気がつくと向こうにいた犬がこっちを見ていた。私がメロンパンを食べていることがわかったのか目が合うとおすわりの姿勢になった。首輪もない野良犬っぽかったが、尻尾を振ってよってくるわけでもないその行儀のよさに好感が持てたので、少し離れていたがパンをちぎって投げてみた。しかしフワフワのメロンパンはその軽さのために距離をかせげず私と犬の中間地点に落ちてしまった。

 しかし犬はおすわりをしたままでメロンパンを食べに行こうとはしなかった。世界遺産の街に住むプライドか、投げてよこした私への抗議のしるしか。 私はしばらく犬の出方をうかがうことにしたが、犬はただ背筋を伸ばしたままで私とメロンパンを交互に見つめているだけだった。

 根負けした私がメロンパンを拾いに行こうとすると、横からほうきとちりとりを持ったおじさんが現れてメロンパンを掃いて行ってしまった。しばらく固まってしまったら、犬もあっけに取られた表情でこちらを見ていた。歩いて取りにいこうか迷っていたのかもしれない。犬がかわいそうになったのでそばによって行こうとすると、犬は腰をあげてその場を去っていってしまった。タイミングの問題でもあるが、中途半端に立ち上がった自分がかっこ悪かった。

 夕暮れの時間を見計らって、街を一望できるピピラの丘に上った。もう数回訪れているのでバスの運転手とは顔なじみだ。三脚を持っていたので、カメラを構えてシャッターを押すしぐさをして歓迎してくれた。昼間のモザイクをちりばめたような鮮やかな風景と代わって、夜の帳が下りる頃には建物のライトアップが始まり、ラ・ウニオン公園からはマリアッチやセレナータの歌声も聞こえてくる。

 しかし撮影機材のセッティングから撮影が終わるまでそんな気分に浸る余裕はない。おまけに少し強めの風が吹いてきたので撮影中は息を殺して三脚を抑えていないとブレてしまう。30秒ほどじっとしていることもあるので、一枚撮りおわるごとに軽く息が上がる。

 以前はこのようなことも全く苦にならなかったが「こんなところで、何をやっているのだろう」という心の迷いが生じるようになったのはいつからだろう。たぶん写真の仕事を本格的に始めてからに違いない。「撮影がなければいかに自由で気楽な旅になるのか」と思えど、もうカメラなしでは旅ができない。軽いジレンマに襲われる。

 どっぷりと日が暮れた頃に撮影を終えると、ほほをたたくような風がやけに冷たく感じられた。よく見ると周りはカップルだらけである。やはり長居は無用というものだ。機材をしまうとデートコースにぴったりのジグザグ階段の小道を足早に下りた。

 カンテラの燈る急な坂道を上って宿に帰るとおじいさんが初めて「おかえり」といって迎えてくれた。覚えたてでたどたどしかったが、おもわずこちらも日本語で「ただいま」と返事をして笑った。そして当然のように食卓に通されて軽食を勧められた。ただのコンソメスープがピピラの丘で冷えた体を温めて会話が弾んだ。まるで学校から帰ってきた小学生のように今日あったことをあれこれ話した。 冷めるとまずいトルティージャもおばあさんがそばでどんどんあつあつのものを作ってくれるので、ついつい食べ過ぎて胃にもたれてしまう。あたたかいもてなしで、帰る場所に帰ってきたような気にさせられた。

 「非日常」を満喫する根無し草のような旅でも、自分の居場所というか心の拠り所を無意識のうちに探していた。だから心が揺れたのだ。つらかったり、孤独にさいなまれたりするのはわかっているけれど、何かを見たくて誰かに会いたくてひとり旅にでるのである。大冒険を気取ってどこへ行こうが所詮は母なる大地の上、進んでいこう、心配ないさ。そんなことを考えていたら一人旅を続ける元気が沸いてきた。そしてカメラバッグの中に入っていたネックレスの箱を、旅行かばんの奥にしまった。

初出:MSNニュース&ジャーナル(1999年10月6日)を加筆訂正。

グアナファトの写真

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