海外駐在員奮闘記


(36) 本社VS現地法人




 会社の上から下まで自己売買にうつつを抜かす、そんな事態を知ったか知らぬか本社の高橋部長と経理部の南さんという人がジャカルタに一ヶ月間の長期出張をすることになった。現地法人の内部監査という名目であったが、本当は彼の弁慶の泣き所をつかんでの押さえ込みが目的であったと思う。本部の命令をことごとく無視する彼に手をこまねいていた本部がやっと重い腰をあげたのだ。

 しかし彼は高橋部長がガーガー言ってきたらまた副社長にいえば大人しくなるだろうとタカをくくっていた。南さんについては私はよく知らなかったが、以前にNYの現地法人でバックオフィス業務を担当していたようだ。彼より年下であったが、英語の文書は読むことができる。彼がこの件でどのくらいビビルかは疑問であったが、来てくれないよりはずっといい。

 本部からの監査が決まってから、彼は松尾さんとするヒソヒソ話の回数が増えていた。以前から「本部寄り」の人間と見られていた私はいつもどおり蚊帳の外であったが、違っていたのは彼がよく松尾さんの部屋に出向いていたことだ。松尾さんの部屋は大部屋で10人あまりのローカルスタッフがいたが、帳簿類もほとんどがそこにあった。そしてローカルスタッフが帰ってからは帳簿を引っぱり出してあれこれやっていたので、たんなる雑談ではないことは確かだ。

 ヘンドラの解雇騒ぎでローカルスタッフの自己売買ブームは沈静化しつつあったが、顧客口座の中に多くの架空としかいえない名前の口座があり、それらはほとんどマイナスの残高になっていた。調べていくうちにそれらはバカ旦那が自己売買の時に使っていた口座であることが判明した。バカ旦那は儲かった自己売買では即座に金を引き出し、損をしたものについては知らんぷりをして放置していたのだ。ヘンドラのことを解雇しておきながら自分はチョンボを繰り返していたとは何と厚顔な奴だろう。

 本社から出張した2人がそれをつつくとバカ旦那は最初は笑ってごまかし、次に怒りだし、最後にはしばしばオフィスから消えてどこかへ雲隠れした。しばらくして戻ってきたときに、どこへ行ったのかと追求しても「工事中の新しいオフィスを見に行った」という他はわけのわからない言い訳を繰り返した。

 ある日私が建築中の新オフィスを見に行った。真新しい指輪を薬指にしたデザイン会社のあの子と一緒だったが、もちろん私のモチベーションはグッと落ちていた。現場でバカ旦那に偶然会ったのでまあ本当に見に行っていたようなのだが、彼はオフィスをサッとみて一通りのチェックを済ますとそそくさと現場を後にしようとした。

 「どこにいくんだい」と穏やかな口調できいてみると、「ちょっと来ないか」といわれたのでいわれるままに付いて行った。ドライバーを呼んでいないので車で外にいくわけではなし、さていったいどこへ行くのだろう。彼はエレベータに乗ると地下に降りた。地下は駐車場であるが、エレベータを降りてすぐのスペースではなにやら工事が行われていた。

 彼はそこに入ると、新オフィスのときより数倍綿密にチェックをはじめた。いったい何ができるのかときいてみると、「今度ここにカンティン(ワルンより上等な食堂)をオープンするんだ。引っ越したときには完成予定だからよろしく。ワルンよりおいしいから」と答えた。架空口座の追求から逃れるほかにも、こんな副業を手がけていたから足しげくここに通っていたのか。またまた、ちゃっかりである。

 大蔵次官であったバカ旦那の父親は数年前に他界していたが、母親はまだ現役の大蔵キャリアであったことから取引所のビルに店を出す許認可もクリアできたのだろう。ここではファミリーのコネはフル活用される。ビルの完成直後に国際的なチェーンを差し置いてアメリカのマイナーなハンバーガーチェーンがオープンしたが、それも当時の副大統領の娘がからんでいるといわれていた。

 ここにきてやけにバカ旦那の不正行為がクローズアップされてきていた。それらはほとんどが巧妙というよりちゃっかりというのがピッタリのセコイものであった。そのセコさは「ここまでやっていたのか」とため息の出るくらいあきれるものであったが、なにもこのタイミングではなくてもいつでも突付くことができたはずである。

 今考えると彼は、高橋部長と南さんにバカ旦那のあら探しをやらせて、自分への追及を反らそうとしていたともいえる。それに金庫番である松尾さんも加担したのだろうか。頻繁に行われていたヒソヒソ話の内容はそういうことだったのか。しかし、いくら松尾さんがジャカルタにおけるバックオフィスの責任者といえども、着任したばかりでまだ事情に精通していない。そういうこともあってか本社から来た二人は彼を集中的に攻め立てた。

 最初、彼は高橋部長は英語の書類を細かく調べることができないし南さんは年下なので恐れるに足りずと思っていた。しかし、南さんは彼のことを「きわどい質問になると、ちょっと不自然な態度になる」といっていたことから、バカ旦那関係の調査にワークロードを取られつつもけっこう調べ上げられていたようだった。

 彼等のことをなめてかかっていたら予想外に手強かったので、強気だった彼も方向転換を迫られていた。宿泊先も最初は私が泊まっていたあのあやしいホテル((18)参照)であったが、彼等からクレームが出たので(当り前だ)、すぐに他のもっと良いホテルに移ることになった。そのときも彼は出張者2人の前で「こいつが取ったんですよ。物も知らなくてしょうがねえから」と大きな声で言った。確かに(彼の命令で)予約を入れたのは私であるが、先日の蹴りのお返しをとんだところでくらってしまった。

 そして週末は2人をゴルフに連れていくこととなった。日本では年に何度できるかわからないゴルフコースに毎週連れられていやがるゴルファーはいない。2人ともゴルフは好きそうだったが、特に南さんは自らを「レッスンアマ」と名乗るほどのゴルフ(のうんちく)好きであった。これには私もつきあわされることになっていた。私がヘタくそで足手まといになることがわかっているのに連れていくのは、ほかの目的がある。

 ホテル予約の件でもそうだったように、彼は「いじめられキャラ」として私を必要としていたのだ。こいつが仕事もゴルフもできないから自分が苦労している、ということを刷り込みたかったのだろうが、そこまでやられてはたまらない。丁重に断わることにした。彼は「おまえ次第だ」と玉虫色の返事をしたが、あの一件以来仕事以外のゴリ押しは手控えるようになってはいたので万事休すと思っていた。

 部屋に戻ってしばらくすると、長期間の出張であったが同じオフィス内にいてもあまり顔を合わさない高橋部長と南さんが入ってきた。楽しい週末を控えてかニコニコ顔の高橋部長はこういった。
「シン君、今度の週末都合がつくよな?」
「えっ、いや、ちょっと、、、」  やばい、ゴルフの誘いだ。
「どうした、体調でも悪いのか?」
「いや、そういうわけじゃないのですが、、、、」
「たまにはゴルフもいいぞ。一緒に行こう。ストレス解消にもなるし、楽しいぞ。」
あのメンバーだったらその反対だよ。
「ボールをいやな奴の顔と思ってカッ飛ばせばいいんだよ。ハッハッハ」
もうケッ飛ばしましたから。
「心配いらないって。教えてあげるからさあ〜」
 ほおっておいてほしいのに「レッスンアマ」の南さんもフォローを入れてきた。彼がせっかくのゴルフに私が駄々をこねているとでも2人に言ったのであろう。彼の策略にはまって周りを固められ、高橋部長たちまでも敵にまわしてはまずいと思い、結局は週末にゴルフにつきあう羽目になってしまった。
(つづく)

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