シンガポール、バリの旅 3





●ラッフルズホテル
ラッフルズホテルは改装されてもう10年以上になりますが、壁の色の白さは改装当時の状態を保っていました。
このホテルはパティオ(中庭)を囲むようなコロニアル建築風で、周りがレストランやお土産や、 そしてパティオの部分が客室になっています。
宿泊客以外は客室の棟には入れません。 周りでぞろぞろ人が 歩いているそばで落ち着かないと思いきや、泊まった人のHPなどによると結構いいようです。
そしてこのホテルは車の多い通りに二方向が面しているにもかかわらず、なぜか内部は静かでなのす。 外周の通路でそう感じるくらいですから、客室もきっと静かなのでしょう。



















どこまでも続く真白い壁を見ていると、汚したいという衝動にかられます。
雨上がりの道を歩いてきた靴ならば、壁にキックをすれば痕跡を残すことができます。 でも、きっとカメラで監視されているでしょうから、すぐに捕まってしまうのでしょう。
エレベータの中での大小便禁止など面白い罰則で有名なシンガポールですが、罰則を作るということはそのような被害が過去にあったか予想されるということで、ホテルの白い壁も厳しい監視の目によって保たれているのでしょう。

いってみればこのホテルはヨーロッパによる植民地支配の象徴ではないでしょうか。
それを観光名所にしてしまうとは、卑屈というかしたたかというか、、、、
シンガポールも第二次大戦中はつかの間でしたが日本の統治下にありました。
昭南島という名前をつけられていましたが、それを知るシンガポール人はいるのでしょうか。
昔、オフィスビルのガードのおじさんが少し日本の歌を歌ってくれました。
よくききとれませんでしたが、軍歌のような歌でした。

今、その時代を名残惜しむものはほとんど残っていませんが、皮肉にもラッフルズホテルの筋向いには 「日本占領時期死難人民記念碑」が空高くそびえていて、日本の占領時代のネガティブな部分をシンガポール人の心につなぎとめています。
植民地支配ですからヨーロッパ人も自慢できることはしていないはずなのですが、なぜかカッコよく思えてしまい、日本人はババをつかみやすいのでしょうか。
植民地として支配されることは全ての人にとって屈辱なことに違いないでしょう。 しかし方やおしゃれなホテルで優雅に古きよき時代へのタイムスリップ。そして一方ではあの体験を忘れるなといわんばかりの巨大で無機質な記念碑とは、程度の差こそあれ同じ植民地支配をしたものへの扱いとしては見事なまでに対照的です。
(つづく)

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